「柿右衛門」について語る時、相手がどの柿右衛門を意味しているのかを意識することが必要である。例えば「柿右衛門を持っている」という場合の柿右衛門は、柿右衛門様式の作品を意味している。「柿右衛門に勤めている」という場合は、柿右衛門窯という組織のことである。「私は柿右衛門です」という場合は柿右衛門という人を指している。このように一口に「柿右衛門」と言っても、作品と窯と人の三つの意味を含んでいる。聞く側はその場の状況から三つの意味の何れかを判断しているのである。
人と作品に関する表現で、忘れられない思い出がある。2000年10月から2001年1月まで大英博物館のジャパンギャラリーで佐賀県陶芸展が開かれた。この展覧会の展示の仕事で私は渡英していたので、10月20日の開会式に出席することができた。当時佐賀県陶芸協会の会長であった14代柿右衛門先生が開会式において和服姿で挨拶をされた。無事開会式が終わり、翌日だったと思うが、柿右衛門先生と骨董店を覗いて見ることになった。数軒目の店に入った時に、店主がこれは17世紀末の柿右衛門でどうのこうと解説を始めた。柿右衛門先生にイギリス人の骨董屋さんが柿右衛門作の古陶磁を説明したのである。先生はニコニコして聞いておられたが、私はその光景を見て吹き出しそうだった。そして我慢できずに彼にこう言った。「ヒーイズミスターカキエモン,フォーティーンスジェネレーション!」。すると店主はびっくりして、空いた口が塞がらず、そして感激してくれた。4、5代の頃の柿右衛門を説明しながら、目の前に14代が現れたのである。作品は時代を超えて伝世し、歴代の柿右衛門は脈々と引き継がれてきた。時空を超えた不思議な感動が店主の顔に表れていた。