柿右衛門とその歴史 2.江戸時代中期〜後期

江戸中期から後期の柿右衛門窯では、染付磁器と色絵の金襴手様式磁器を主力商品として、主に国内向けの生産に従事していました。意外と知られていませんが、柿右衛門窯の製品は他の肥前で作られたやきものと同様に、日本海航路を中心とする流通網に乗って、全国に普及していました。特に北前船(廻船)によって北は北海道まで運ばれた伊万里焼は、今でも日本海沿岸各地に遺ります。また、酒井田家文書を紐解くと、宮家・将軍家・大名家・商人など日本の上流階級からの注文が続いていたことが分かります。

17世紀末〜18世紀前半
柿右衛門窯所蔵
佐賀藩主鍋島家の献上品として作られた、同家の家紋である杏葉形の皿(上)と土型(下)。

旧家に伝わる伝来品もそのことを如実に伝えてくれます。しかし、窯の経営はけっして順調ではなく、困窮に苦しんだ時代も長く続きました。特に江戸後期から末期は、幕府の力が弱まり、世の中が大きく変わりました。これまでの大名家を始めとする武家からの注文は途絶え、瀬戸などでも磁器の生産が始まったことで、有田生産規模や水準も落ち込んだようです。柿右衛門窯も例外ではありませんでしたが、歴代柿右衛門がそれぞれの時代において、様々な工夫を凝らしつつ、上質な磁器の生産を継承しようと努力していたことはいくつかの資料から窺えます。

染付紫陽花図水注「酒井田靖秀製」銘
19世紀前半〜中頃
柿右衛門窯所蔵